*私のこと*

私は小さかった頃、父の転勤で、中部・北陸でよく引っ越していました。

父は当時、トンネルに電気を取り付ける仕事をしていました。

 

日本各地に新しい道路ができていた頃、山を掘り、トンネルも多くできていたのです。

小学校に上がる前、父は自営を始め、母の実家に住むことになりました。

私の名前は、貴子と書きます。私の母の父、祖父がつけてくれました。

 

じいさんは字画に詳しく、じいさんが名前を付けた人は、町にはたくさんいたそうです。

 

その昔、町は織布で大変栄えたのですが、じいさんは、ある織布工場の専務でした。

占いや暦に凝っていたそうで。

 

今日は先勝だからこうしようとか、今日はこちらの方角がいいとか、自分の仕事に、大いに活用していたそうです。

私の母が中学生になる頃には、会社の経営が傾き始め、そうなるといっそう占いに頼ったそうですが。

 

時代の流れで、町の織布工場がみな廃れていきました。

じいさんは晩年、病気を患い、私が生まれて1年後に亡くなりました。

 

一番小さかった孫の私を、随分かわいがってくれたそうで、亡くなるまで

 

「貴子は今頃、どうしているかなぁ」

 

と言うのが口癖だったそうです。

実家にはじいさんの遺影が飾ってあり、その遺影を見ながら、私はじいさんに守られていると思いながら成長しました。

私は、じいさんに似たみたいです(そういえば、姓名判断を習いました(^^;))。

 

子供の頃から、目に見えない世界に並々ならぬ興味を持っていました。

小学校の図書館に行っては、「日本のこわい昔話」「世界のこわい昔話」などを借り、ブルッと震えながらも、興味深く読んでいました。

学年が大きくなるにつれ、興味はさらに広がります。

 

UFO、古代遺跡、生まれ変わり、心霊現象など。

 

「私も不思議な経験をしてみたい」と思い続けていたら、小学6年頃から、不思議なものを見るようになりました。

体育館で、卒業式の練習をしていた時の休憩中のことです。

 

なにげに私は、ピョンピョン飛び跳ね、跳ねながら左右にくるくる回ってみたら、ニッコリ笑う船長さんの姿を体育館の扉に見ました。

 

私の空想と思い、誰にも話さなかったのですが。

 

20年経った後、 隣りのクラスに霊感の強い女の子がいて、彼女も当時、 私が見たのと同じものを体育館で見ていたと聞きました。

高校生になると、予感が当たるようになりました。試験勉強をしていた時に、役立っていたと思います。

 

「多分ここ、テストで出る」と思うと、本当に出題されることがよくありました。

 

もちろん、ハズれることもありましたが。

OLだった時は、仕事でたまに役立ちました。

 

朝、ある書類ファイルが気になります。書類が、私を呼んでいる感じです。

 

しばらくすると、取引先から電話が入り、さっき気になった書類ファイルを見ながら、電話応対することがよくありました。

 

そんな二十歳の頃、ある先生の話を聞きつけました。霊感で、いろいろわかる先生だそうです。

 

興味を持ち、先生の家に電話して押しかけました。

私が知りたかったのは、私の過去世です。先生は、私はかつて江戸・元禄時代に武士だったと言われました。

 

えっ、私、人を殺していたんですか?と聞いたら、いや、人はあやめていないとのこと。ホッとしました。

当時、私はとても好きな女性がいたが、彼女は僧門に入り、尼になってしまったそう。

 

彼女を思い、結婚することはなく、「武士は喰わねど高楊枝」その通りの男性だったそうです。

寺子屋のようなところで、子供に何か教えていたそう。

 

だとしたら、漢文だったのかも(高校生の頃に好きだったし、昔の中国にも興味があったので)。

実は前々から、当時勤めていた会社の上司達に、ちょんまげ姿がダブって見えていました。

 

私の妄想だと思ってましたが、縁あって社員として集まったのかしらと思いました。

 

その年だったか、社員旅行で金沢に行ったのですが。

 

武家屋敷など歩いていたら、高揚感と言うか、なんとも不思議な感覚がしました。


もうひとつ前の過去世は、大航海時代だったそう。

 

スペインで生まれ、のちにアメリカ大陸に移った女性で、この時、多くの人を引き連れ、アメリカに渡ったと言われました。


先生は、私の唇にある色の薄いほくろを指し、それは私の弁舌で、多くの人を導いた証拠だと言われて。

 

この話を聞いた時、意志とは全く関係なく、突然涙がこぼれました。

 

悲しくないのに涙が出るなんて、本当にビックリしました。

冷静に考えて・・ 大航海時代に女性が、多くの人を引き連れて海を渡るなんて、あり得たのかな?

 

図書館に行って調べましたが、私の疑問に答えてくれる本はありませんでした。


もう少し最近の話をします。

 

振り返ると、1999年が私にとって転機の年でした。

 

1996年に1つ下の妹が交通事故で亡くなり、その悲しみから、ようやく立ち直った頃です。

 

1999年1月末に、ひどい風邪を引きました。

 

当時は一般事務のパートをしていましたが、昼食後に目の前が真っ白になり、意識を失いかけたほど。

 

今思うと、「身体の大掃除」だったと思います。

 

その数日後に、海外の精神世界の本をたくさん翻訳されている、山川夫妻の講演会が行われました。

 

とても楽しみにしており、熱もなんとか下がったので、咳き込みながらも講演会に行きました。

 

初めての参加でしたが、心温まる、素晴らしい内容でした。

その会場で、イベント案内チラシを何枚かもらいました。

 

春になり、チラシを見てイベントに行くと、1人の女性に出会いました。

 

彼女はインナーチャイルドカード占いをしており、興味深かったので、また彼女の自宅に押しかけました。

 

(私は、気になるとすぐ行動する射手座のB型です ^ ^)
 
彼女の仕事部屋には、美しい、きれいなものがたくさんありました。マリア様の像、天使グッズ、様々なオイルの小瓶など・・・

 

そこに、様々な色の美しい石もありました。

彼女から、石は人を助け、幸運を運ぶ話を聞き。

 

「私にも、良いことあるといいな」とかる~く思い、指先に載る小さなカーネリアンを購入し、小さなアメジストで指輪も作ってもらいました。

 

little amethyst、直径6ミリの小さなアメジストが、その後の私の生き方を大きく変えてゆきます。

 

彼女から教わり、心の中で石に話し掛けるようになりましたが。

 

数日経つと、石が水を含んだように艶やかに美しくなり、本当にビックリしました。

 

1個なら目の錯覚と思いたかったのですが、2個ともキレイになったからです。

その後、彼女から天然石ビーズアクセサリーの作り方を教わり、やがて私はそれにすっかり夢中になり、自分で作るようになりました。

名古屋で石を販売しているお店に行っては、様々な石を手にしましたが。

 

パワフルストーンを手のひらに載せると、ビビビッと軽い電流みたいなものを感じるようになりました。

だんだんと、クリスタルを扱う仕事をしてみたくなり、2000年1月、できることからスタートしました。

 

 

次の話に続く

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